障害を持つ方の究極の役割

身体的な障害を持っている方の物凄く重要な役割

 

皆様、こんにちは!

 

私はヒカルと申します!

 

今回このブログでは自分なりに身体的な障害を持っている方の物凄く重要な役割について気付いた事がありましたので、シェアしたいと思います。

 

 

私は時々街を歩くのですが、その時、身体に障害を持っている方を時々見かけます。

 

 

特に良く見かけるのは目が見えない方だったり、車椅子に乗っている方達です。

 

 

その方達をみると初めは「大変そうだな…」「可哀想だな…」「不便そうだな…」と思いながらも普段通りの日常生活を送っていました。

 

 

しかし、ある日、身体障害を持つ方が健常者の方から舌打ちをされたり、邪魔者扱いされていた所を目にしました。

 

 

私はその時、「酷い事をするやつだな」と思いましたが、でも「その気持ちもわかる…」とも思いました。

 

 

そこから私は「今まで可哀想だとばかり思っていたが、その方達は役割があるとしたらどんな役割があるんだろう…。」と自分なりに考え始めました。

 

 

一応、情報としては真っ暗闇の状態になったときにその方達の力は必要である、というイベントがあるというのを知っていたので、確かにそのような時には目に見えない方の力は必要だろうな…けど、実際にそんな状況はあるのだろうか…とずっと思い、考えていました。

 

 

そしてある日、人生について様々なことを考えていた時に「まてよ…人生にはいろいろな事が起こる。それこそ事故にあったり怪我をしたり…その時に…もし目が見えなくなった時は視覚障害者の方が私にとって大先輩になるのではないか?」

 

 

と気付きました。

 

 

つまり、これまで「可哀想だ…」や「邪魔だ」と思っていた方が自分が彼等と同じ立場となると「凄い方」で「必要」な方であると…そう悟りました。

 

 

そして前段で述べた「真っ暗闇の所では視覚障害を持つ方が必要である」というイベントはこの気付きの所に繋がるのではないだろうかと思いました。

 

 

そして同時にこれは視覚障害を持つ方だけではなく、聴覚障害を持つ方や、足腰が不自由な方も同じで、自分が同じ立場となるとやはり「大先輩」で「凄い方」で「必要」な方達だと…私はそう思えるようになりました。

 

 

もしこのブログを見られている健常者の方で、視覚障害聴覚障害の方達を見かける事がありましたらこの事を踏まえて障害者の方達と接して頂けたら何か…とても大切な何かが変わるのではないのかな…?と思います。

 

それでは今回はこの辺で失礼させて頂きます。

自殺を考えている方へ!世界で唯一の究極の話!

そこの自殺を考えている貴方!

 

初めまして!

 

私は自殺を止めたい委員会会長(自称)のヒカルです!

 

 

今回はこのブログを見てくださった貴方様へ向けてとても大切なお話をさせて頂きます!

 

 

私は現在35才(2022年12月6日現在)なのですが、これまでの人生で約11年間ずっと辛い事が続き、こんなにも辛い人生がずっと続くんだったら死んだ方が楽になるよな…」と、何度も何度も何度も考えました。

 

 

具体的にはまずは下痢。24才までは快調(快腸)だったのですが、ある日を境に現在まで約11年間ずっと原因不明の下痢が続いています…。

 

 

今は少し良くなりましたが、飲食後は必ず下痢。しかも水のような下痢で日中の仕事中も便意が常にあり、いつも「大丈夫かな…」と仕事に集中するのもとても大変でした。

 

 

次に頭。

 

同じく24才の頃から脳(頭?)に何か詰まったようになり物事の判断が出来なくなり、それが気になって周りの意見に右往左往、そしてイライラ…それでもおこらないように毎日ずっと我慢していました。

 

 

さらに睡眠不足。

 

現在も派遣社員をしているのですが、将来の事が不安でずっと「早く何とかしなきゃ…早く何とかしなきゃ…でもどうしたら良いんだろう…どう行動したら良いんだろう…」とほぼ毎秒事のプレッシャーで夜は全く熟睡出来ず、寝てもふと目が覚めたら一時間しか寝ていない…と、それを毎晩繰り返していました。

 

 

おまけに事故。ある時新聞配達の仕事をしていたのですが、夜中の2時〜3時頃、バイクを運転中に急に意識が引っ張られたように一瞬余所見をしたのですが、視線を戻すと目の前に柵があり約60キロのスピードで見事激突、吹っ飛んで地面に叩きつけられました…。

 

 

頭はヘルメットのお陰で無事でしたが、全身をアスファルトに叩きつけられ、その衝撃が心臓にまで達し、息が詰まり、仰向けのまま全く動けず、空を見上げながら「ああ…星が綺麗だな…もうこれで人生終わりか…人生これからだと思ったのに…」と涙ぐみながら本気で死を覚悟しました。

 

 

その時の澄んだ空の星は今でも忘れません。

 

 

が、運が良いのか悪いのか、暫くそのままでいると指が動かせるようになり、「ああ、まだ生きるんだな…」と、仰向けだった体を転がしてうつ伏せとなり、引きずるようにして痛んだ体を無理やり引き起こしました。

 

 

そして事故により道路の真ん中に転がっていたバイクが目に止まり「…このままじゃ…他の車が来たら邪魔だな…」と、唯その思いでバイクを道路の端へ寄せ、そのままバイクを寄せた芝生に倒れました…。

 

 

傷ついた指先からポタポタと血を滴らせながら…。

 

 

 

私はそれでも今も生きています。

 

 

今も辛い状況が続いています。

 

 

さて、何故私は今も辛い事が続いているにも関わらず生きているのでしょうか…。

 

 

 

その理由は…

 

 

 

「仮にあの世があった場合…とても大変な事になる…。」

 

 

 

とずっと思っていたからです。

 

 

 

世の中の人達の中には「あの世なんてない」「死んでも無になるだけ。悪い事もやらなきゃ損」と考えて生きている方達もいます。

 

 

あるいは「人は死ねば皆仏だから(これはあの世がある前提ですね…。)」なども言います。

 

 

正直、私はどれも楽観的過ぎる考え方だな…と思います。

 

 

理由としては論理的に考えると無理のある考え方だと思えたからです。

 

 

ここからが本題なのですが、(これまでのは前置きです…)その考え方をご紹介致します。

 

 

まず、考え方として、

 

 

 

「あの世が無かった場合」

 

 

「あの世があった場合」

 

 

 

と二つに分けて考えます。

 

 

 

そしてまず「あの世が無かった場合」で考えます。

 

 

 

「あの世が無かった場合」で考えればもちろん死んだ後は「無」なので、楽になれると思って自殺しても何の問題ありません。

 

 

 

しかし、次は問題が有ります。

 

 

 

「あの世があった場合」です。

 

 

 

それでは「あの世があった場合」を考えてみましょう。

 

 

 

「あの世があった場合」

 

 

 

まず、ご自身で調べて頂ければ分かると思うのですが、世界の宗教の書物を調べてみると『あの世は存在しています。そしてあの世は「天国」と「地獄」の二つがあります。』と紹介されています。

 

 

 

まず、これで「あの世があった場合、「天国」と「地獄」の二つの世界がある」事が分かりました。

 

 

 

では次に、自殺をした場合、『天国』と『地獄』の『どちらに行くのか』を調べる、あるいは考えてみます。

 

 

 

ここで自殺を考えている読者の方に質問させて頂きます。

 

 

 

貴方は自殺した場合、次の『天国』と『地獄』…

 

 

 

この二つの世界の

 

 

 

「どこの世界に向かう事になると思いますか?」

 

 

 

以上が私の常に考えていた「あの世」についての論理的な考え方となります。

 

 

まとめると…

 

 

 

「あの世が存在しなかった場合」→自殺可

 

「あの世が存在した場合」→自殺不可

 

 

 

となります。

 

 

 

次は私なりのアドバイスとなります。

 

 

 

「それじゃ、このつらい状況…何をよりどころとすれば良いの!!」

 

 

という方へ。

 

 

 

旧約聖書の「主(しゅ)」をよりどころとしてください。

 

 

ユダヤ教の「主(しゅ)」も同じ方となります。

 

 

 

キリスト教の場合は「主イエス・キリスト」と紹介されていますが、「主・イエス・キリスト」です。

 

 

 

あるいは日本の場合は「国常立尊様」となります。

 

 

 

詳しくはこれ以上紹介しませんので、もしご興味があればご自身でお調べください。

 

 

 

それではかなり長文となりましたが、これにて自殺を考えているあなた様へのメッセージを終了させて頂きます。

 

 

 

ちなみに…これは最後の質問とさせて頂くのですが

 

 

 

「世の為、人の為、世界の為に良い行いを続けると『天国』と『地獄』、あなたはどちらへ向かわれると思いますか?」

 

 

 

それではこれにて失礼させて頂きます。

 

 

 

あなた様のこれからの人生が幸せとなるようお祈り申し上げます。